『ドラゴンクエスト』シリーズの楽曲、500曲以上を手がけた作曲家。
作曲家のすぎやまこういちさんが9月30日に90歳でお亡くなりになりました。
すぎやまさんといえば、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽を手がけたことで有名です。500曲以上の楽曲すべてをお一人で作曲され、ドラクエの世界観を表現されました。
ドラクエⅠ〜Ⅲのぼうけんに心躍らせた小学生時代。
私の小学生時代はドラクエとともにありました。
兄がファミコンを買ってもらい、その時に初めて家にやって来たソフトが『ドラゴンクエスト』でした。
テレビの画面から流れる『序曲』は、初めてのテレビゲームで遊ぶワクワクと合間って、いやおうなく胸を高鳴らせてくれました。
初めてフィールドに旅立った時のドキドキ感、初めての敵(スライム)と出会った時のアセアセ感、「ふっかつのじゅもん」を記録する時の緊張感(テストでも見直さないのに3回は見直した)、死んでしまった時のがっかり感……。
ひとつのゲームで色々な感情を味わいましたが、それらのすべてが「ワクワク」でした。
小学生時代にドラクエシリーズがⅠ、Ⅱ、Ⅲと立て続けに発売され、すべてプレイすることができました。
私はダンジョンが苦手でそこからなかなか先に進めず、結局自分ではクリアできませんでした。でも兄弟がそれぞれやっていたので、それを見ているだけでも楽しめました。今でいうゲーム実況みたいなものです。
兄がⅢでクリアした時のエンディングでは、身体がぞわぞわするほど感動しました(自分ではクリアしてないんですけどね……汗)。Ⅰ、Ⅱと続いて来た物語をⅢで回収、そのストーリー展開に胸が熱くなりました。
ラスボス討伐直前でセーブされた兄の「ぼうけんのしょ」を拝借し、何回もそこだけプレイしてエンドロールを繰り返し見ました。
ドラクエの世界観が好きすぎて、図工で色紙に好きな絵を描く授業ではⅢのジャケット絵を描いたほどです。
当時、周りの女子はほとんどドラクエをプレイしていなかったので、とある女子には「勇者なんて描く女子、fujiccoちゃんぐらいじゃない」とチクリと言われてしまいましたが、胸熱の私には関係ありませんでした。
中学生になると部活や勉強で忙しくなり、ゲームからは遠ざかってしまいました。うちにもドラクエⅣまではあったと思いますが、自分でプレイすることはなくなりました。
そして、そのまま大人になりました。
ただ、今でもドラクエの曲がテレビや街角で聴こえてくると、胸が高まります。そして、必ず口ずさんでしまいます。何時間も聴いた曲たちは、決して飽きることなく色褪せず、心の中にあるからです。
東京2020オリンピック開会式で、胸熱ふたたび。
今年あれこれ物議を醸した中で開催された、東京2020オリンピック。
なんだかんだ言っても世界クラスのお祭りです。せっかくだから楽しみたい。私はステイホームで開会式を観ることにしました。
何かサプライズがあるかも、という期待を寄せて観ていましたが、選手入場でついにその瞬間が訪れました。
そう、ドラクエの『序章:ロトのテーマ』が流れたのです。あのファンファーレが高々と鳴り響いた瞬間、私は「キターーー!」と叫び家族を驚かせました。
そして一緒に歌いました。世界の人々に「どや!」という気持ちで誇らしく見守りました。コロナ禍で開催されるオリンピックに対するどこかもやもやした感情を、あの瞬間がすべて吹き飛ばしてくれました。
そして、素直にオリンピックを応援しよう、楽しもうという気持ちになったのです。
すぎやまこういちさん、永遠に。ご冥福をお祈りします。
ドラクエを初期三部作で卒業してしまった私は、コアなファンの方々から見たらファンとすらいえないかもしれません。でも、私の子供時代を励まし、勇気を与え、寄り添ってくれた。それがドラクエであり、すぎやまこういちさんの音楽です。
すぎやまこういちさん、私の子供時代を照らしていただきありがとうございました。あなたの音楽は永遠です。
心よりご冥福をお祈りいたします。
(fujicco)